下肢静脈瘤と共に歩んできた男の日記

20歳の時に下肢静脈瘤になり、手術も数回経験した50歳男です。下肢静脈瘤になっての経験や、病気の特徴などを調べたことをマテめていきます。

いよいよ就職  立ち仕事に就いちゃった

僕の生まれは北陸は福井県
 
おじいちゃんの代から続く散髪屋さんの三代目となる事を決意した高校三年生の夏でした。
 
 
就職先というか、修業先に選んだのは大阪の某有名理髪店。
 
親父の親友の息子さんが既に三年前からそのお店に修行に出ていて、その紹介という形で就職させてもらったのです。
 
 
そのお店は当時、理髪店を3店舗、美容室を5店舗ほど経営されていました。
 
どのお店も非常に忙しく、当然本店であるぼくが働いていた理髪店も、とても忙しいお店でした。
 
 
田舎で夫婦二人で営む、小さな散髪屋さんの息子である僕は、
 
「同じ散髪屋でも、こんなに違うのか!」
 
と、驚いてしまうくらい
 
田舎の小さな散髪屋と、都会の大手の有名理髪店との差に驚愕したのを覚えています。
 
 
理髪店での修行は過酷でした。
 
朝は8時半には開店して、夜も20時まで営業。
 
 
その後、夜中まで自主練の日々です。
 
幸いお店の近所に寮がありましたし、ご飯は毎食お店のバックヤードで社長の奥様が作ってくださったので、本当に寮は寝に帰るくらいで、あとはずーっとお店に来いた感覚です。
 
 
寮にはお風呂がないアパートだったので、近くの銭湯に行くのですが、それも今となっては汚い話ですが、2日に一回とか、3日に一回くらいしか行ってませんでした。
 
 
お金ももったいないし、時間ももったいなかったから。
 
 
何せ、20時過ぎに営業終了し、そこから23時くらいまで練習して、そこから銭湯に行き、さらにお風呂から帰ってからも練習するのが日常でしたから、銭湯行く時間を削って、早くやることやって寝たかったですからね!
 
 
そんな多忙かつ、ほぼ一日中立ちっぱなしの日々は、僕の下肢静脈瘤の悪化を早めるのでした。
 

高校時代、そして就職

中学生、高校生とバスケットボールに打ち込んだ青春時代でしたが、
 
高校三年生になりいよいよ進路を考える時期となりました。
 
高校二年生の時までは、
 
「親に負担が少ないよう、絶対に国公立の大学に行くんだ!」
 
と考えて、三年生のクラス分けの時にも「国立文系コース」を希望して、そちらのクラスに配置してもらいました。
 
 
ところが今までスポーツには熱中した経験は多々あれど、勉強に熱中した経験はありませんでした。
 
自分で言うのも何ですが、特にめちゃくちゃ勉強しなくても、そこそこの点数をテストでは取れていたので、入試にしても学期ごとのテストにしても、そこまで勉強を大量にした事が無かったのです。
 
 
しかし、さすがに国立大学に進もうと思ったら、そんな甘い世界では無いのは当然です。
 
勉強しまくらないと!という思いはあるものの、いまひとつ受験勉強に乗り切れない自分がいました。
 
 
そんなある日、近所のおばさんが言った、本当に何気ない一言が僕の進路を、いや、今後の人生を変えたと言ってもいいでしょう。
 
 
僕の実家は散髪屋さんを代々営んでいました。
 
僕には一つ年上の兄がいたので、兄が家業を継ぐのかと思っていたら、兄は警察官になってしまいました。
 
僕は小さい頃から、兄がいたので安心して好きな仕事に就ける!と思い、大学進学を目指して育ちました。
 
 
しかし兄が家業を継がなくなったので、ぽっかりと後継ぎの席が空いてしまいました。
 
 
とは言え、ぼくも家業を継ぐつもりなんか全く持たずに生きてきたので、今更散髪屋さんになるつもりはありませんでした。
 
 
ところが先述した近所のおばさんの登場です。
 
 
ある日の学校帰りにたまたまおばさんに出会い、軽く挨拶をして家に入ろうとした時、
 
「○○君(僕の名前)が散髪屋さんになったら、凄くセンスがいい子やから、いいお店になりそうやね!」
 
「小さい頃から、センスがいいし、愛想もいい子やったから、お兄ちゃんより○○君が散髪屋さんになったらいいのに!と昔から思ってたよ」
 
 
と、何ともむず痒くなるような褒め言葉を言われました。
 
 
でも、受験勉強に自信を無くしていた当時の僕には、このおばさんの言葉がとても貴重で、背中を押された気分でした。
 
 
この瞬間から、
 
「家業を継ぐ」
 
という方向に完全に気持ちが変化しました。
 
 
人生的には良い決断になったのですが、選んだ仕事は立ち仕事。
 
下肢静脈瘤の僕にはキツイ仕事に結果的には就いてしまったようです。

僕と下肢静脈瘤との出会い

僕が自分の足に異変を感じたのは、実は中学生の頃でした。
 
中学生時代はバスケットボール部に所属していたのですが、練習の時に半ズボンのトランクスのようなバスケットボールパンツを履いていた時に友人が
 
「ふくらはぎの血管浮いてるんちゃうん?」
「もっと筋トレせなあかんのちゃうか!」
 
と言ってきたのです。
 
自分でもなんか他の人より血管が目立つなーくらいには思ってたのですが、友人に言われて初めて
 
「他の人が気づくくらい、俺の血管浮いてるんや」
 
と思ってショックだった記憶があります。
 
 
ただ、その当時【下肢静脈瘤】と言う言葉はもちろんのこと、そんな病気があることすら知りませんので、友人に言われたように
 
「他の人よりふくらはぎの筋肉が弱いから血管が目立つのかな?」
 
くらいにしか思ってませんでした。
 
 
その後も中学生、高校生の間はずーっとバスケットボールに打ち込んでいましたので、ショートパンツになる機会が多かったので、ある種のコンプレックスを感じていました。
 
チームメイトは、ショートパンツと短いソックスで練習や試合に参加する人も多かったですが、僕はずーっとハイソックスしか履きませんでした。
 
ふくらはぎを隠したかったからです。
 
 
そして、練習はなるべく長いトレーニングウエアを着ていたように思います。
 
 
一般的に下肢静脈瘤は、出産後の女性や、ある程度年配の男女に見られる病気のようですが、僕のように中学生くらいから症状が見られるのは珍しいのでは無いかと思います。
 
我ながら昔の自分が少しかわいそうに思います。